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霊園概要・アクセス

フラワーメモリアル国立府中 霊園概要

●所在地 東京都府中市四谷6-9-1
●宗教 自由
●施設 管理棟/休憩室/法要施設/駐車場/売店
●経営主体 宗教法人 万行寺
●許可番号 22府保生き第156号
●電話番号 042-360-1451

 

<アクセス>

電車でお越しの場合
京王線「中河原駅」より車で4分、JR中央線「国立駅」より車で13分
お車でお越しの場合
中央自動車道「国立府中インター」より車で5分

経営主体:宗教法人万行寺について

天宝山万行寺由来
浄土真宗本願寺派万行寺(まんぎょうじ)(以下、万行寺と省略する)は、東京都中央区発行の文化史(注:一)によると開基の願正が西本願寺(現在の浄土真宗本願寺派)浜町別院の寺中の一院として創建した寺であり、一六三〇(寛永七)年に、京都の本山本願寺から天宝山万行寺の寺号を受けたものである。寺の過去帳によれば願正は尾張の出身とされているがその他については不詳である。また、詳しい寺の経緯は「新修 築地別院史」(注:二)、「築地本願寺 遷座三百年史」(注:三)などにその概要と歴史が見られる。

現在の本願寺築地別院(通称、築地本願寺。以下築地別院と省略する)は、その前身である先述の浜町別院として浅草に寺基をかまえ、「浅草御堂」とも称されたが、一六五七(明歴三)年正月十八日から十九日にかけての江戸城本丸をはじめ八百八町を焼く、いわゆる「明暦の大火」(振り袖火事)に類焼し炎上した。幕府は、復興に際して市街整備を行い、京都本願寺に対して、「浅草御堂」の地を収公し、八町堀(現八丁堀の旧地名)の海上に百間四方の替え地を与えた。この替え地の埋め立て工事は、摂津(大阪府)から移住した佃島門徒の協力によって進められた。翌一六五八(明暦四)年埋め立て予定地の三分の一ほど工事がすすんだので、仮本堂を建て、同年五月二十七日に本尊の御遷座がなされた(この経緯は、「武蔵抄」「祖門旧事紀」「江戸名所記」に詳しく記載されている。)築地別院と共に類焼した万行寺も築地に移転をしている。

一六七四(延宝二)年本願寺寂如宗主は、築地別院の本建築を発願、一六七八(延宝六)年七月、建築の懇志を勧進させた。一六七九(延宝七)年四月二十七日に柱立、八月一日に上棟、十一月七日に落成して本尊を安置した。その後、築地別院は修理をくり返したが、一六九五(元禄八)年十二月二十六日、築地別院の地中の寺が全焼している。当時、築地別院には地内の寺院が移転してきていたことが分かる。

さらに次の記録からも万行寺が当時、築地別院の地中の寺としてあったことが知られる。「浅草御堂」時代の地中の寺院数は十八ケ寺にすぎなかったが、築地に移転してのちは漸次増加して、五十八ケ寺になっている。一七三二(享保十七)年に刊行された「江戸砂子」には、次の寺院の名が拳げられている(注:四)

称揚寺 善永寺 妙延寺 実相寺 円正寺 浄見寺 法照寺 法重寺 浄立寺 法光寺 成勝寺 円光寺 善久寺 西念寺 善照寺 覚証寺 善正(宗)寺 安養寺 真光寺 常栄寺 敬覚寺 久宝寺 長泉寺 浄光寺 善林寺 福泉寺 真教寺 浄(常)念寺 正法寺 応善寺 明西寺 延浄寺 妙善寺 光源寺 妙泉寺 正満寺 浄泉寺 正善寺 長安寺 真龍寺 宝林寺 海岸寺 万福寺 西照寺 万行寺 報身寺 正覚寺 勝林寺 浄徳寺 光西寺 延重寺 源正寺 福称寺 妙覚寺 唯心(信)寺 光徳寺 円(延)徳寺

 

時代は下って、一八一九(文政二)年七月、築地別院付け四十二講が連盟で本山へ願書を提出しているが、その中に役僧惣代(総代)として万行寺とその印が見られる(注:五)
さらに一八七〇(明治三)年三月二十七日、東京府から築地別院に山口藩兵の屯所にするべき旨の通達があった。翌二十八日に同藩士の下検分があり、四月十二日に藩兵が着坊した。その宿割りの一つに万行寺があてられている(旧版「築地別院史」)(注:六)。

 

一器械方・輜重方、延重寺  一右半大隊向導、万行寺

 

また、新しくは一九二三(大正十二)年九月一日の関東大震災の記録によれば、当日、築地別院では東京の法中(僧侶のこと)の講習会が行われており、午前の講義が十一時三十分に終わり、しばらくして激震が襲った。そして、同午後九時、築地別院内の盲人学校に火が回り、太子堂、そして地中寺院方面、最後に築地別院本堂も火焔をあげて爆音とともに燃え堕ちた。同年十月、文部省から被害程度の照会が再度にわたってあり、そのとき京都本山本願寺の東京出張所が提出のためにまとめた本派寺院及び説教所の罹災状況の中に、万行寺に関して次の記録がある(注:七)。

 

東京府 徳法寺(京橋区築地三丁目)全焼二棟(本堂・庫裡)、(多数の寺院名と被害棟を略す)、万行寺(同地)全焼三棟(本堂・庫裡・門他)、後略。

 

一九二四(大正十三)年十一月、万行寺は仮本堂を建設、一九三〇(昭和五)年八月本堂及び庫裡を再建したが、震災により万行寺の寺内にある墓所も類焼し、当時東京府の造成した東京多摩霊園の四区一種に万行寺境内地内の全墓所の墓石を移転して一画をなしている。

万行寺の歴代の住職は、このように築地の地で仏法に生き、仏法を伝えて、現住職で第十八代目に至る。多くの門徒を抱える現住職は、現在、本願寺派布教使として、また東洋大学講師として、この尊いみ教えを広範な地域と幅広い世代の人びとに継承していくことが大きな責務である。

浄土真宗の寺院は、阿弥陀如来の「本願」の呼びかけを聴聞することが一大事である。そして、苦悩の原因は自分の愚かさによる自己中心的な生き方(自力)であることに気づかされ、生かされていることに深い感謝とそれに気づかずにいた自身を慚愧し、阿弥陀如来の浄土へ向けて、念仏を申しつつ強く明るい「往生」という歩みを進めるものである。新境内地となった東村山氏恩多町は駅から徒歩での参詣も無理なく、また都立小平霊園と隣接している恰好の仏法伝道の地である。現在、この尊く新しいご縁の地との巡り合わせを住職、総代並びに関係者は心から喜んでいる。

 

 仏暦二五四二(国際暦一九九九)年四月八日
  釈尊灌仏会 万行寺住職 釋 静芳 記

 

*** 追記 ***

注:一 「中央区の文化財(四)有形民俗文化財-信仰-」社会教育課文化課係編集 中央区教育委員会 昭和五十六年十二月発行 五十三頁以下
注:二 「新修 築地別院史」編集責任者千葉乗隆 編暮築地別院即如上人伝灯奉告本堂建立五十周年記念慶讃二法要記念事業特別委員会出版部会発行本願寺築地別院 印刷所株式会社同朋舎 昭和六十(一九八五)年十月一日発行
注:三 「築地本願寺遷座三百年史」築地本願寺遷座三百年記念法要事務局編集 昭和三十三年五月二十五日発行
注:四 「築地本願寺遷座三百年史」十五頁及び「新修 築地別院史」一八二頁参照
注:五 「築地本願寺遷座三百年史」一九六頁参照
注:六 「築地本願寺遷座三百年史」二一一頁参照
注:七 「築地本願寺遷座三百年史」三六〇頁参照

住職プロフィール

仏暦2500(1957)年生まれ。既婚。

浄土真宗本願寺派万行寺第18代住職を20歳の時、継職

 

現在 浄土真宗本願寺派万行寺(まんぎょうじ)住職
アーユス仏教国際協力ネットワーク
元・武蔵野大学助教授
元・東洋大学講師
東京仏教学院(築地本願寺内)講師
法名 釋靜芳(しゃくじょうほう)
本名 本多靜芳(ほんだしずよし)
1957(仏暦2500)年、東京築地生まれ
1980年、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。
1982年、東洋大学文学部仏教学科卒業。
1985年、東洋大学大学院文学研究科仏教学科修士課程修了。
1988年、同大学院同科同学科博士課程満期退学。
浄土真宗本願寺派にて得度・教師・布教使の資格を取得。
専門 仏教学~特に浄土教の社会性と仏教者の社会実践~
監修 『「心を豊かにする」62のヒント』ゴマブックス
著書 『改訂新版「歎異抄」を読む』角川学芸出版
『歎異抄に学ぶ大乗仏教入門』国書刊行会
『いのち、見えるとき』法藏館
共著 『親鸞入門』永田文昌堂
共著 『真宗と社会』大蔵出版
共著 『戦争と追悼』八朔社
趣味 技芸(音楽・美術・演劇など)鑑賞

スタッフ紹介 ~事務員~

一番左 :中本泰輔
主な担当 :イベント企画
目標 :今年こそダイエット
休日の過ごし方 :シーズン中は基本西武ドーム
左から二番目 :やましたまいこ
主な担当 :断捨離係
目標 :AB型をA型にする
休日の過ごし方 :ひたすら歩く
一番右 :庄司愛
主な担当 :看板係
目標 :スマホを使いこなせるようにする
休日の過ごし方 :うの(チワワ)とたわむれる

スタッフ紹介 ~ガーデナー~

一番左 :松本勇
主な担当 :総合ガーデナー
目標 :美しいバラを咲かせる
休日の過ごし方 :孫と遊ぶ